夢に別れを 後編






 いつからそこにいたのか、今の話を聞いていたのか。
 様々な問いが浮かんだが彼女の顔を見れば全て明らかあった。

 「・・・ここを・・出て行くんだ」

 クルクルと動いて明るい光を宿していたはずの目は伏せられ、睫毛が影を落として完全に光が遮られる。

 「まだ、出て行くと決めたわけじゃ・・」
 「嘘!レギンは・・行っちゃうんだ」

 彼女の中で俺がロクスバーグへ帰る事はもう決定事項のようだった。少しでもここに残ってくれると考えてくれないのか、と思うと胸が痛んだ。
 彼女から目を逸らすと疑問がわきあがる。

 どうして胸が痛むんだ。俺は別にミオの事は何とも思っていない。なぜなら俺の中にはまだ――

 「知ってるんだ・・レギン、婚約者がいたって事」
 「え・・・?」
 「ロクスバーグのお姫様、だったんでしょ?でも今はファーフナーの王妃・・」

 止めてくれ、と思わず叫びそうになったが喉が異様に渇いて言葉にならなかった。

 「まだ・・好きなんでしょ?でももう相手は人の奥さんだし、いくら思っても無駄じゃない!?」
 「・・めろ」
 「そんな人の事いつまでも思っていないでさ!もっと他に目を向けた方が・・」
 「止めろ!!」

 自分でも驚くほど大きな声だった。ミオは肩を震わせたがそんな事もう気にしていられなくなっていた。

 「レギ・・」
 「お前にそんな事言われなくても分かってるんだよ!もう俺にかまわないでくれ!」

 言って荒い息を繰り返している内に頭も冷えてきた。自分が彼女に酷い事を言ってしまったと言う自覚が芽生え始める。

 「ミオ・・」

 咄嗟に謝ろうとしたが、彼女の顔を見て情けないが凍りついてしまった。

 透明な雫が彼女の健康的に焼けた肌を伝い、流れていく。

 「あ・・・・・・」

 まるでスローモーションのように見えた。光る涙がポタリと落ちる様は恐ろしいほどあの日の彼女と被って見えた。


 ”ごめんなさい・・・”

 涙に暮れる人はひたすら許しを請うていた。顔を上げると美しい顔をぐちゃぐちゃにして、幾筋も涙の後を残して。

 ”愛してしまったのです・・・私は彼を・・王を愛してしまったのです”

 その時ばかりはまっすぐに見てきた人の目には強い光が生まれて俺を射抜いた。いつも俺の名前を呼んでくれて、優しく微笑んでくれた人はもういないのだと思った。

 大好きだった人の笑顔は最後まで見れず、代わりに今まで見た事もない強い意思を宿した目を知った。

 「フロー・・・」

 思わず名を呼んで手を伸ばしたが、次の瞬間には目の前の少女はミオに戻っていた。
 驚きに怯んだが、耐えるように泣く少女をこのままにしていられずにそのまま手を伸ばしたが、

 「触るな!」

 ミオに勢い良く振り払われる。再び見た彼女はもう泣き顔ではなかった。

 「レギンが触ろうとしたのは誰!?あたしじゃないでしょう!?」
 「何を・・」
 「分かっちゃうんだ!レギンが・・お姫様の事考えてる時・・!あたしは身代わりなんて嫌だから」

 身代わりにするつもりなんてないが、いつも脳裏にかの人が過ぎるのは自覚していた。それをミオは分かっていたと言う事か。

 「ごめん・・・俺だって分かってるんだ・・もう彼女の事は忘れないといけない。だけどどうしても・・」
 「あたしが忘れさせてあげる」
 「は!?」

 思わぬ言葉に素っ頓狂な声を上げてしまう。普通そう言う台詞は男が言うものではないか。
 だが、彼女は普通の通じない俺が今まで会った事もない女性だった。先程まで泣いていたのが嘘みたいに晴れ晴れとした顔をしてきっぱりと。

 「あたしが毎日レギンを笑わせて、忘れさせてあげる」

 妙に吹っ切れた自信溢れる言葉だったが、瞳にほんの少し不安の色が混じっているのが分かると俺は自然、微笑んでいた。
 彼女といれば本当に忘れられるかもしれない、なんて考えてしまう自分もいる。

 そうして俺は今度こそきちんと彼女を見て手を伸ばそうとしたが、下卑た笑い声が邪魔をした。

 「こんなとこで愛の告白かぁ?ミオ」
 「・・・ジャン!」

 ジャンと呼ばれた男はにやにやと相変わらず厭らしい笑みを浮かべてこちらに近付いて来る。
 俺は自然そいつを睨んでいた。ジャンは村でも一番の根性悪で何かと言うと皆の嫌がらせをしていた。ミオに気があるのかよくちょっかいをかけてくるのだ。

 今日もいつもの嫌がらせだろう、と高をくくっていたが男の背後に数人の人影を見て考えを改めさせられた。

 「いつもいつもあんたにはやられてるからなぁ。今日は仲間を連れて来たんだ」

 言うなりゾロゾロと柄の悪い男達が俺達を囲む。ミオを背中に庇いながら腰の剣に手を掛ける。本気で切るわけではなく、脅しとして使うつもりだった。

 「騎士だか知らねぇが目障りなんだよ!お前らやっちまえ!」

 言い古された決まり文句を言う悪役、ジャンが声を掛けると男達は懐からナイフを取り出す。どうやら本気のようだ。

 だが、武器は手にしても所詮は素人。訓練を積んだ俺の敵ではない。簡単に峰打ちしていって残るはジャン一人だ。

 「くっ!放せ!」

 振り返るとミオがジャンに後ろから羽交い絞めにされていた。元々ひ弱そうな男なのでバタバタと暴れる少女を何とか押さえ込んでいるだけ、と言う風だ。
 だが、片手にはやはりナイフが握られている。それが彼女を傷つけるのではと思うと身動きが取れない。

 完全に固まった俺を見て気を良くしたのかジャンは愉快そうに笑う。しかし笑っている内にミオを掴んでいた腕の力が緩まった。その隙を見逃すわけがない。

 「ジャン!」

 素早く懐に飛び込もうと地を蹴った瞬間、ジャンは無様に宙に舞っていた。
 そのまま背中から落ちた男は呻き声を上げて気絶してしまった。呆然とする俺の前で男を投げ飛ばした少女は朗らかに笑った。

 「あたしはレギンのお荷物になんてならないから」
 「・・・ミオ」

 あの人と違った強さがそこにはあった。今初めてミオ自身を見たような気がした。









 「気を付けてね」

 少し寂しそうに、けれど明るくミオは笑った。俺はロクスバーグに戻る事にしたのだ。

 「ミオ・・俺・・」
 「やっぱり、さ。レギンは騎士なんだよね。こんなところで農作業してる人じゃないんだ」
 「・・・・・・」
 「あたしが言った事忘れてね!何か恥ずかしい事言ったから・・」

 俯く少女の顔を両手で包み込むと案の定目に涙が溜まっていた。

 「忘れない。ミオが忘れさせてくれるんだろ?一度言った事、守れよな」
 「でもレギンは・・」
 「戻って来る。国に帰るのは本当に民が苦役を強いられていないか確認するためなんだ。無事だと分かったら戻って来るよ」

 え、とミオは嬉しそうに頬を染めたがすぐにまた顔を曇らせた。信じていないのだ、無理もない。



 俺の言った事が本当だと分かるのは約1ヵ月後。


 「レギン!!」

 叫んで嬉しそうに胸に飛び込んで来るミオを抱きとめてきっと俺は告げるだろう。

 彼女の言葉が真実になったと。



 夢に明るく笑う赤毛の少女が出て来たのはもう随分前の話。



 終わり











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